昨日、長崎に原爆が投下されてから78年となる「原爆の日」を迎えました。今年は台風6号の接近に伴い、平和祈念式典が60年ぶりに屋内で開催されましたが、テレビやネットのニュースでは、例年式典が行われる平和公園の様子も取り上げられ、雨に濡れる平和祈念像が映し出されていました。
毎年この日を迎えると、高校の修学旅行で初めて現地を訪れた日の記憶がよみがえります。式典広場から見上げた平和祈念像の圧倒的な迫力に息を飲み、解説者から聞いた、像の裏に刻まれているという作者の言葉が、印象に深く残りました。
「垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを立てた足は救った命を表しており、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っている。」
被爆10周年にあたる1955年、4年の歳月をかけて完成したこの像が、長崎出身の彫刻家・北村西望という人物によって制作されたことを初めて知ったのも、その時でした。
平和祈念像の建立からさかのぼること30年ほど前、当社前身帝国興信所本社ビルの敷地内には、北村西望が手がけた等身大の初代後藤武夫の銅像がありました。
資料によると、1923年の関東大震災から3年後、全壊した本社社屋の再建にとともに、全国の社員や初代から学資援助を受けた者など、およそ1,000名が出資し、北村西望によって制作されたことが記されています。戦時中の金属供出により現存はしませんが、初代の出生から帝国興信所、日本魂社設立に至るまでの略歴が記されている銘文と、上半身の木製型は社内に残り、今もその歴史伝えています。
8月9日。北村西望のふたつの作品を眺めながら、平和について改めて考えた一日となりました。