前回の雑記帳や9月4日のお知らせにあります通り、史料館では現在、『帝国銀行会社要録』のデータ化、分析を進めております。この要録には、企業の設立年や業種、住所や資本金などの情報がまとめられており、分析にあたって企業情報を1社ずつ入力していますが、大正期の情報ですので、住所はやはり東京都制前のもの。京橋区、麹町区、浅草区、赤坂区など、今でも馴染み深い名前が区名として並びます。
入力の際、町名を確認するため旧住所を調べていると、「東京市」の表記が出てきます。普段は旧住所表記のひとつと思い曖昧な認識でしたが、東京都制前が「東京府」なのであれば、「東京市」はどの時代から、どのエリアを指すものだったのだろう、と確認することにしました。
東京の歴史は1868(慶応4)年に江戸府から東京府に改称されたところからはじまり、1871(明治4)年に府内が6大区97小区に区分けされました。さらに1878(明治11)年になると郡区町村編制法が制定。
府内は15区6群に再編制され、この15区を新たに大分類化したのが「東京市」のはじまりということです。東京府はその後、西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡を合併し、現在の東京都域が形成されていきます。
そして1932(昭和7)年に15区外の6群(途中、東多摩郡と南豊島郡が合併したため、この時点では5群)を20区に再編制して「東京市」に合併し、元の15区と合わせて35区の「大東京」となりました。この35区が、概ね現在の23区域となっています。
つまり、「東京市」は明治からはじまり、当初は限られた区域だったものの、編制をくり返して現在の23区を形成していったことがわかりました。時代によって区域が異なるため、史料を読み取る際は特に注意したいポイントですね。
ちなみに35区の「大東京」は行政区画としての市名ではなく、大都市という意味の総称であるとのこと。メトロポリスや帝都といった言葉と同じように、当時流行したのでしょうか。
出典:東京都公文書館 東京の行政区画~大東京35区物語「昭和7年東京市域拡張直前の東京府」
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0714gyosei_kukaku.htm