学芸員室の雑記帳

一文字が伝える印刷の歴史

先日、帝国興信所が発行していた経済紙「帝国興信日報」で調べ物をしました。1936(昭和11)年の記事に目当ての記載を見つけ、紙面の日付を確認したところで、ハッとして思わず息をのみました。
「昭和」の「昭」の文字が…。天地逆さまになっています。
90年ほど前の印刷物とは言え、これは明らかな誤植。
社員としていたたまれない気持ちになる一方で、活版印刷を用いていた時代の苦労に思いを巡らせました。

当時、印刷の主流であった活版印刷は、左右反転した文字を刻んだ鉛の棒(活字)を原稿通りに組み合わせて版を作ります。日本語は、平仮名と片仮名で計92文字。漢字は常用漢字だけで2136文字もあり、さらにアルファベットや記号、文字ごとにさまざまなサイズや、頻出度合いに応じた量の活字が必要です。また、これらを正確に組み合わせてすばやく版を作るためには専門的な技術が要求され、膨大な活字が並んだ棚から職人が文選箱と呼ばれる専用の箱に1本ずつ活字を拾う作業を行っていました。

帝国興信所では、1906年、本所付近に仮小屋を借りて「株式会社帝国興信所印刷部」と看板を掲げた印刷所を設置し、「帝国興信日報」の起源となる「帝国興信所内報」を創刊時より活版印刷で発行しています。1918年の本社社屋新築時には、1階の3分の2を占める印刷室を完備。関東大震災により社屋が全壊した際は、活字と印刷機をすぐさま調達して印刷を再開しました。その後、再建した本社においても地下に印刷室を備え、1970年代に写植印刷に移行するまで、社内の活版印刷を用いて多くの出版物を発行しました。

土日祝日以外毎日発行していた冒頭の「帝国興信日報」のほか、『帝国銀行会社要録』のような分厚い書籍、『全国企業財務諸表分析統計』などのデータが掲載された書籍も、活字を拾い、版を作っていた時代。
想像も絶する労力をかけて行われた活版印刷の歴史を、天地逆の一文字が、今に伝えています。

とはいえ誤植は誤植。
90年越しではありますが、これを機会に改めて心よりお詫び申し上げます。