創業者ゆかりの地を巡るため、福岡を訪れています。
創業者後藤武夫は久留米市荘島町で生まれ、五十川(福岡市南区)の地で幼少期を過ごしました。五十川には創業者ゆかりの石碑や名前の付いた後藤橋など明確な痕跡がありますが、生誕の地である荘島はピンポイントで場所を特定することができず、これといった痕跡も残っていません。明治初期の面影も今はほとんど残っていませんが、町内を歩いていて荘島生まれの人物を3人見つけました。
一人は豊田勝秋という九州の工芸界の育成発展に貢献した工芸家で、荘島公園内に銅像がありました。もう一人は、西原柳雨という古川柳研究家で道端に石碑を見つけました。最後の一人は画家の青木繁、旧居が整備され、素敵な庭とともに公開されていました。青木繁は栃木県にも長く住んでいました。栃木出身の身には大変身近な存在であり、思わぬところでご縁を感じました。
青年期の創業者がこの地で朽ち果てたくないと何度も飛び出した郷土は、遠く離れた創業者を見守り、事業の発展を支え続けました。創業者はその恩を生涯忘れず、道路整備が課題であった郷土の道路建設に多額の寄付金を納めるなど、郷土の発展に大きく貢献しました。福岡には、明治大正期に開設した支店が3ヶ所(福岡、久留米、北九州支店)、現在も営業を続けています。
企画展も中盤、遅ればせながら、ゆかりの地と歴史ある3つの支店を訪問し、一つ一つ現地現認しています。