4月中旬に開催を予定しているテーマ展示の準備に伴い、数か月前から、かつて当社の社員であった時代小説家、山本周五郎について思いを巡らせています。
先日は、昭和16年12月8日から、昭和20年2月4日までの日記を書籍化した『山本周五郎 戦中日記』(角川春樹事務所)を手に取りました。
そこには、当社を去って10年以上が経過し、小説家として軌道に乗った周五郎の当時の生活がありありと記されていました。誰かに読んでもらうためではなく、心のおもむくままにつづったはずの日記の文章。しかし、天気のうつろいや、危機迫る空襲の記録、他者との対話など、鋭くもやさしさに満ちた視点や描写は、まるで小説を読んでいるかのように、引き込まれていきました。
読み進めるうち、図らずも、周五郎の人生観が書かれた記述の中に、当社の名前を見つけることができました。 「過去の多くの経験はいつも己を成長させることに役立って来た。困難はいつも己を磨く役割をつとめた、好条件は必ず己を育てあげる力になった。十二年の地震(※関東大震災)がなかったら己はどうなっていたか、須磨へ行かなかったら、日本魂社(※帝国興信所)へ入らなかったら、浦安へ逃げずに済んだら、彦山の妹、ないしは福野などと結婚していたら、博文館の少年雑誌が刊行を続けていたら、子供たちが生まれなかったら、……(中略)いかにも巧みな糸が、己を大きくするために張りめぐらされているということを感ずる。」
困難は自分を成長させる絶好の機会だとする考えは、当館所蔵、周五郎の直筆資料『震災手記』にも記されており、一貫した信念であったようです。時として周囲からは「変わり者」と揶揄された周五郎ですが、日記の中には、何度も何度も「しっかり周五郎」「がんばれ」と自分自身を鼓舞し、全身全霊で作家活動に取り組むひたむきな様子がうかがえます。実生活の中で経験したこと、感じたことのすべてが、周五郎の小説に投影されていたのだと、改めて感じました。
ところで、上記引用からも読み取れるように、周五郎は当社在職時に大きな困難に直面しています。それはいったいどのような出来事だったのでしょうか。 まもなく開催予定のテーマ展示「取材記者 清水三十六 ー山本周五郎、最後のサラリーマン生活ー」にてご紹介します。
どうぞお楽しみに。